サスティナブル ビジネス マガジン alternaより転載
「犬がその場にいることで人の表情が優しくなり、会話が生まれ話がはずむ。人間にはないすごい力を犬は持っている」。10年前、盲導犬には向かなかった一頭の犬との出会いをきっかけにアニマルセラピー活動を始めた一人の男性。今は亡くなってしまった愛犬が、人を癒し勇気を与える、犬の持つ素晴らしさを教えてくれました。( JAMMIN=山本 めぐみ)
犬も人も楽しみながら、アニマルセラピーを届ける
高齢者住宅でのセラピー活動の様子。セラピー犬に触れ、笑顔が生まれる
NPO法人「とちぎアニマルセラピー協会」は、特別な訓練を受けた犬(セラピー犬)とともに老人施設や障がい者施設、医療機関を訪れ、動物との触れ合いを通してアニマルセラピーを届けています。
「『セラピーアニマル』とは、肉体的・精神的に問題を抱える人の不安を軽減し気力を高め、心と体の働きを取り戻す手伝いをするための訓練を受けた動物のことをいいます」と話すのは、団体代表の平澤剛(ひらさわ・つよし)さん(60)。施設を訪問しながら、セラピー活動資金の調達とセラピー犬認知のために、栃木県鹿沼市にてセラピー犬と触れ合うことができるカフェ「犬かふぇ まいら」も運営しています。
放課後等デイサービス施設で、発達障害を持つ女の子とのふれあい
「カフェでお客さんと触れ合うことも、訓練の一つ」と平澤さん。
「いろんな方が来られるので、そこでたくさん触れ合うことが犬たちにとっては楽しみでもあり、訓練でもあるんです。セラピー犬になるには、登録の段階でテストがありますが、ただ犬の性格によって当然、セラピー犬としての向き不向きもあります」
「飼い主さんの思いももちろんありますが、犬が楽しんでいるのか嫌がっているのかも見極めながら、ストレスがかかるようなことはなるべく避けて、たくさんの人と触れ合うのが好きだったり遊ぶのが好きだったりする仔が、楽しみながら活躍できたらいいなと思っています」
犬がいることで、人の心のハードルが下がる
お話をお伺いした平澤さん
「犬にはいろんな心のハードルを下げてくれて、人を素直にしてくれる力がある」と平澤さん。
「重い障がいのある方や認知症の方は、普段から接していないとこちらから表情や感情を読み取るのが難しいことがあります。しかし皆さん、犬に触れると何らかの反応を示されます。読み取ることは難しくても、感情は動いているんだと感じますね」
「犬好きでなかったとしても、犬を触ったり抱いたりして怒る方というのは滅多にいないんですよね。犬に触れると、皆にこやかで嬉しそうな表情になるんです。中には犬と触れ合って過去の記憶が蘇ったのか、突然思い出を話してくださったり、泣き出したりする方もいます。施設のスタッフさんが『いつもと表情が違う』と驚かれることも少なくありません」
「突然人だけが訪れて話しかけても、相手は心を開きづらく、なかなか会話も弾みません。しかし犬が介在することで心のハードルが下がり、いろんなお話をしてくださるんです」
「犬と触れ合ったからといって、病気が治るわけではないかもしれません。だけど犬と触れ合うことで、良い方向に向かうことはできると感じています」
犬と人が触れ合う時、 人だけでなく犬にも幸せホルモンが分泌される
アニマルセラピーは近年、日本でもメジャーになりつつありますが、「科学的なエビデンスによって、その効果が証明されてきている」と平澤さんは話します。
「『オキシトシン』という脳内ホルモンがあるのですが、これは別名『愛情ホルモン』と呼ばれ、お母さんが子どもを抱いたり人と人が手をつないだりした時に分泌される、人が幸せを感じることができるホルモンなのだそうです。親子や夫婦間で分泌すると思われていたこのホルモンが、研究によって、犬と人間の間でも分泌されるということがわかったんです」
「しかも人間側にだけではなく、犬の方にもこのホルモンが分泌されているそうなんです。
考えてみると、それこそ犬と人とは一万年以上共に生きてきて、犬は人間といることで食べるものに困らなかったし、人間は犬といることで外敵から守られてきました。犬と人には、共生の中で育まれてきた確固たる信頼関係があるのではないでしょうか」
活動のきっかけは盲導犬には向かなかった「イッシュ」との出会い
「イッシュはとても賢く穏やかで優しい犬でした。誰にでも寄り添い、黙って側にいてくれるイッシュは多くの人に笑顔と安らぎを届け、虹の橋を渡りました」
2011年からアニマルセラピー活動をしている平澤さん。活動のきっかけは一体何だったのでしょうか。
「実は最初は、盲導犬の卵である仔犬を育てるパピーウォーカーをしていたんです。しかし盲導犬になるのにも、その仔の性格の向き不向きがあります。すべての犬が盲導犬になれるわけではありません」
「最初にお世話した仔は盲導犬には向かず、他のところにもらわれていきました。2頭めにお世話した仔がとても良い仔だったのですが、やはり盲導犬には向かなかったようです。その際に、その仔をお預かりしていた盲導犬協会さんの方から『引き取りませんか』と連絡をいただいたんです」
家族会議を開き、その仔を引き取ることに決めた平澤さん。「『イッシュ』と名付けたこの仔こそが、最初にセラピードッグのきっかけをくれた犬であり、私の人生を変えてくれた犬でした」と振り返ります。
イッシュを迎え入れて1年後の2011年、東日本大震災が起こりました。その時に「被災地でセラピー犬が活躍している」という話を聞き、「イッシュもセラピー犬として活動できるのではないか」と思ったといいます。
「イッシュは優しくていろんなことができる仔でした。『彼にも何かやらせてあげたい。盲導犬には向かなかったけれど、もしかしたらセラピー犬として、何か人の役に立つことができるんじゃないか。お手伝いできるんじゃないか』と思ったのが最初でした」
その後、訓練を受けセラピー犬となったイッシュ。被災地へは3回ほど訪れたといいます。
「仮設住宅を訪れた際に出会った、一人のおばあさんが印象に残っています。大変な暮らしのはずなのに、『これで犬たちに何かを買ってあげて』とお金の入った封筒を渡されたのです。『そちらの方が大変でしょうに、いただけません』と返すと『いいのよ、いいのよ。うちは飼っていた犬が津波で流れてしまったから』と…。きっと突然別れることになってしまった愛犬に対して、いろんな思いがあられたのだと思います」
「悩んでいたり苦しんでいたり、生きづらさを抱えている人たちに一体何ができるのか。アニマルセラピーで問題が解決するとか苦しみが消えるとか、大きく何かが変わるようなことはできないかもしれません。だけど、犬と触れている間はちょっとだけ日常を忘れて、前向きな気持ちになってもらえたら嬉しい。そして明日に立ち向かう力を、ちょっとでも養ってもらえたらと思いながら活動してきました」
犬の存在が、人の力になる
「犬かふぇ まいら」で、お客様とのふれあいの様子。「カフェにいる時のセラピー犬たちは、普通のオヤツが大好きな犬に戻ります」
他にも、犬の力を感じた印象的なエピソードがあると平澤さん。
「『犬かふぇ まいら』に、ある不登校のお子さんが通っていました。カフェにお気に入りの仔がいて、その仔と一緒に写った写真を切り抜き、お守りのように持ち歩いていたそうです。学校のカバンにも入れて、少しずつ学校にも通えるようになったと聞きました」
「別のある方は、重度のうつを発症し、ほぼ寝たきりの生活を送られていました。ご主人の運転で初めてカフェに来てくださって、そこから『個人的にセラピーに来てほしい』というご依頼を受け、半年ほど犬と一緒に訪問しました」
「すると少しずつ元気になり、ご自身で犬が飼えるようになるまで回復されたんです。セラピーで定期的に訪問することが、その方にとって少しずつ楽しみになり、目的になり、日々に希望を見出されたようでした。人間にはできないことを、犬はやってくれているんだなと感じます。その方は今ではうちの会員として、活動をサポートしてくださっています」
「犬はペットではない。 活動を通して、いのちの尊さを発信したい」
「転勤の為に飼えなくなった」というメモと一緒にトリミングサロンの前に生後6か月で遺棄されていたリヤンも、今ではセラピー犬として癒しを届けている
平澤さんにアニマルセラピーの世界に入るきっかけをくれた愛犬イッシュは、2019年に10歳で他界しました。
「最期まで飼い主に手をかけさせない仔でした。頭にコブのようなものができて少し様子がおかしいと思った矢先、1週間ほどでみるみる具合が悪くなって亡くなりました。頭の中に腫瘍ができていたようで、それが脳を圧迫し、認知症のような症状が出始めていました」
「今でもカフェのお客さんとイッシュの話をしますし、事あるごとに思い出す仔です。犬はまさに家族そのもので、別れは本当につらいものです。だけどイッシュがいてくれたおかげで、私の人生は大きく変わりました。イッシュに出会わなければ、まさか自分がNPOを立ち上げるなんて夢にも思いませんでした」
「私に限らず、『犬のおかげで人生が変わった』という方は結構たくさんおられます。家族バラバラだったのが、犬を飼った途端に皆が家に帰ってくるようになったとか、家族の会話が生まれたとか…。犬はただ黙って話を聞いてくれるだけで何も話しませんが、『犬に救われた』という方に本当にたくさん出会います」
「殺処分をはじめ、動物のいのちが軽んじられるような問題が社会にあります。私は団体の活動を通して、犬はただのペット・愛玩動物ではなく、パートナーとして私たち人間に寄り添い、役に立ってくれる生き物なんだということを発信していきたいと思っています」
「セラピー犬の認知が上がり、犬の社会的な立場が今よりも上がれば、今よりも大切に扱ってくれる方が増えるのではないでしょうか。人間の都合や好き勝手で扱うのではなくて、もっともっといい形で共存ができるはずです。直接的ではないかもしれませんが、セラピー活動を通して、これからも犬のすばらしさやいのちの尊さを伝えていきたいと思っています」
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